さよならマッカーサー
1951年4月16日、マッカーサーは日本での役目を終えて、アメリカに発つことになりました。
約20万人の日本国民が羽田空港への沿道を埋め、アメリカと日本の国旗を持って見送りました。
敗戦という虚脱状態に陥っていた日本国民に、民主主義と平和主義の良さを教え、明るい道へ導いてくれました。
押し付けられた憲法というのは大ウソ
GHQ案を内閣が受け入れなければ、マッカーサーは直接国民に問う予定でした。
そして、すでに国民は日本政府よりマッカーサーを信頼していました。
決して、押し付けではありません。
ところが、松本烝治を委員長とする政府案は明治憲法の天皇主権そのままで、民主主義とはほど遠いものでした。
GHQご指導しなければ今の日本はなかったと思います
- 陸海軍解体命令
- 侵略戦争を計画、あるいは指導した戦争犯罪人の逮捕
- 軍国主義的、超国家主義的教育の禁止命令
- 新聞界の政府からの分離指令
- 女性選挙権
- 労働組合
- 財閥解体
- 農地解放
- 軍人への恩給停止(後にアホな政治家によって復活)
日本政府ではとてもこれだけの改革はできなかっただろう。
しかし、戦争の苦しみを経験した当時の日本人が一番望んだのは、今の日本国憲法の第九条戦争放棄です。
そして、改憲派が一番改正したいのも第九条です。
満州への侵略に始まり、無条件降伏で終わった14年間の戦争で得たものは、平和憲法だけです。